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mini-Shigeki-ZINE [2023]──映画と〝悪場所〟とメタフィクション [ A5判・16p ]

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〝まぼろしのシゲキジン第3弾〟が、文学フリマ東京42を機に増刷! 

mini-Shigeki-ZINE [2023]とは、インディ文芸創作誌『Witchenkare(ウィッチンケア)』第7号に木村重樹が寄稿した「映画の中の〝ここではないどこか〟[悪場所篇]」に、加筆修正や関連コラム・参照図版などを追加して再構成した小冊子。

映画鑑賞によって「そのロケ場所に行ったような気になる」ことをめぐる気分の起源から……ジム・キャリー主演の『トゥルーマン・ショー』(1988年)や、ウルリヒ・ザイドル監督作『インポート、エクスポート』(2007年)の〝場末感〟について、自由連想の翼を広げました。

さらには【「第四の壁」破り映画】と【映画の中の「スラム」描写】【ウルリヒ・ザイドル監督の考察】についての、とりとめもない雑文をプラス。

2023年「文学フリマ東京36」で頒布を開始し、その後の即売会などで完売扱いとなったのですが今回、久々に増刷したので、希望者にBASEでもお頒けいたします。

令和のシネフィル〜実験映画愛好者、統合失調気味の映像表現に興味津々な貴兄・貴女、後学の為にも、ぜひお買い求めください!
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[目次]
■はじめに:映画の中の〝ここではないどこか〟/あるいは〝悪場所〟への厭悪と憧憬

コラム①:虚構とリアルのあわいに風穴を──「第四の壁」を壊した映画たち
コラム②:映画の中の「スラム」描写
コラム③:「孤独で貧しい人物」の心情に寄り添う:ウルリッヒ・ザイドルの映画世界

■あとがき:映画の中の「厭な場所」あれこれ
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【サンプル原稿】

[はじめに]より(一部抜粋)

(前略) 「ついこのあいだまで自分が訪れていた〝あの場所〟は、そして、そこで出会った〝人たち〟は、はたして本当に実在するのだろうか?」と。

 換言すれば、もとの日常生活に自分が着地した後もなお、〝あの場所〟には自分が見た風景が広がり、出会った〝人たち〟もまた日常生活を送っているのだろうか? という、存在論的懐疑……というとはなはだ大袈裟だが、出先での記憶や印象が鮮烈であればあるほど、〝いまここ〟で展開するいつもながらの光景と〝かつてのあそこ〟に広がっていた景色が連続したものと受け取れなかったのだ。

 もちろん、現実の移動体験で、ある種のSF作品に現われる異世界ワープのような事態が引き起こされることはまずありえない。つきつめれば自分のモヤモヤも、幼児期〜思春期特有の不安定さの発露だったのかもしれない。だがしかし、その不安定さがより重篤な場合、子どもの思い込みが以下のような妄想を喚起するケースだってあるだろう。

 「もしも(旅先で見た)風景が、映画や舞台のセットのような書き割りにすぎず、そこで出会った人々もまた仕込みの俳優で、みんなで口裏を合わせて自分を欺くひと芝居をうっていたとしたら。その場から自分がいなくなった途端、〈はい、お疲れさま!〉と言って解散していたら?」。(後略)
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*他にmini-Shigeki-ZINE [2023]内で言及された映画タイトル

・ウディ・アレン監督作『アニー・ホール』(1977年)
・ウディ・アレン監督作『カイロの紫のバラ』(1985年)
・アレハンドロ・ホドロフスキー監督作『ホーリー・マウンテン』(1973年)
・寺山修司監督作『田園に死す』(1974年)
・ミヒャエル・ハネケ監督作『ファニーゲーム』(1997年)

・フーベルト・ザウパー監督作『ダーウィンの悪夢』(2004年)
・イ・サンウ監督作『トロピカル・マニラ』
・芹明香主演・田中登監督作『(秘)色情めす市場』(1974年)

・トビー・フーバー監督作『悪魔のいけにえ』(1974年)
・イーライ・ロス監督作『グリーン・インフェルノ』(2013年)
・S.クレイグ・ザラー監督作『トマホーク ガンマンvs食人族』(2015年)

・『ホステル』(2005年)/『マーターズ』(2008年)/『テリファー 終わらない惨劇』(2022年)

・『哭声/コクソン』『女神の継承』『呪詛』『ミッドサマー』etc...
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